2021年12月23日、オンライン上で長崎原爆展が開催されました。こちらはICUサービス・ラーニング・センターと長崎市、公益財団法人長崎平和推進協会が共同で開催されたイベントです。戦後76年が経過した今、被爆者の方から直接被爆体験をお聞きする経験はとても貴重な機会になりつつあります。今回のイベントの第一部では、爆心地から約2.2km地点にあった自宅で被爆した山脇佳朗さん (被爆当時11歳)による被爆者講話、第二部では、長崎平和推進教会でサービス・ラーニングを行ったICU生によるバーチャル資料展が企画されており、これまで原爆の話に触れてこなかった学生にも分かりやすく、学び深いイベントでした。また、各企画後のディスカッションセッションでは、「被爆者のいない時代」に私たち学生はどのように原爆の悲惨さを伝えていくか、という意見交換を行いました。この記事では、実際にイベントに参加した感想と、企画運営に携わったサービス・ラーニング参加学生の一人である中村華子さんへのインタビューをおとどけします。
【イベント概要】
日時: 2021年12月23日(木)17:00-19:00
場所: オンライン
主催: 長崎市、ICUサービス・ラーニング・センター、(公財)長崎平和推進協会
企画: 第一部 被爆者講話
第二部 バーチャル資料展
サービス・ラーニング・センターウェブサイト: https://office.icu.ac.jp/slc/news/nagasaki_icu.html
【「知り学ぶ」だけで終わらない原爆ーイベントに参加した感想ー】
長崎に原爆が投下されたのは、太平洋戦争末期の1945年8月9日の事。当時11歳であった山脇さんは、双子の弟とともに自宅でお昼ごはんを食べていました。前夜から何度も空襲の警戒警報がなっていたので、自宅の防空壕に避難していたのですが、やっと警戒警報が解除されて安心していた矢先、11時2分、突然の強烈な光と暴風が山脇さんに突き刺さりました。
山脇さんの原爆の体験談は、とてもリアルで、ついさっきまであった日常が一気に何もかもなくなってしまう様子がありありと伝わってきました。特に山脇さんが原爆投下後にお父様を探しに行くまでの黒こげの遺体だらけの道や、お父様のご遺体の状態などの語りから、如何に凄惨な経験であったのかが伝わり、聞いているだけでとても胸が苦しくなりました。
「今でもその道を通るとその時(原爆の時)の腐臭を感じるような感じがする。」
この言葉から、どこかで原爆は遠い過去の出来事だと思ってしまっていた自分に気づかされます。原爆は、現在の私たちの社会と繋がっていて、私たちと同じように暮らしていた人たちの出来事なのです。
第二部のバーチャル資料展では、原爆が落とされた11時2分で止まった時計や、爆心地に近く甚大な被害を受けた小学校の紹介など、原爆の悲惨さを自分の身近なものから感じ取れるようにICU生が資料を紹介しました。さらに、ディスカッションセッションを通し、「自分は何ができるのか」を話し合うことで、ただ他人事として「知り」「学ぶ」だけで終わらない機会となりました。
【「被爆者のいない時代」に生きる私たちー中村華子さんへのインタビューー】
最後に、今回の長崎原爆展の企画・運営に携わったサービス・ラーニング参加学生の一人である、中村華子さん(ID 24)に、長崎でのサービスラーニングでの経験と、原爆についてICUの学生の皆さんへ伝えたい思いを伺いました。
五十崎)中村さんはなぜ、長崎平和推進協会でサービス・ラーニングを行うことにしたのでしょうか?
中村さん)私は中学生までアメリカに住んでいたのですが、原爆の話題について触れる機会はあまりありませんでした。しかしある日、学校の授業で「核兵器の所持、使用は正しいのか」というテーマでディスカッションを行いました。その際に、核兵器を唯一実践で使用した事のあるアメリカと、唯一原爆の被害を受けた日本のどちらの国にもアイデンティティを持つ自分は、原爆や第二次世界大戦後の両国の関係について興味を持つようになりました。ICUでは、サービス・ラーニングプログラムを通して、実際に原爆の被害にあった長崎に行くことができると知り、参加を決意しました。
五十崎)中村さんは初めて長崎を訪れたとお聞きしたのですが、長崎での生活を通してどのような印象を持たれましたか?
中村さん)一か月間の滞在の中で、一番感じたことは、自分が想像していたよりもずっと平和教育や核兵器廃絶に対する意識の高い地域だなということです。同世代の長崎の大学生の方々と核兵器に関する意見交換を行ったのですが、皆さんが高い関心を持っておられました。しかし同時に、核兵器廃絶に対する意識について、長崎と他の地域に地域差があることにも気づきました。この問題に関して長崎市の田上市長も、核兵器は全ての人に関わる問題なのに長崎と広島が特別扱いされすぎていると危惧されていましたのが印象的でした。
五十崎)私は長崎出身なのですが、確かに関東に来てから行われている平和教育の違いに驚いた事があります。
中村さん)そうなんです。しかし、私たちは常日頃から核の傘にいて、核兵器の問題ってじつはとても身近なものなんです。だからこそ、より多くの人に「自分たちの問題」として原爆のことを知ってほしいと思いました。また、被爆者の方の経験や原爆について知るだけでなく、自分は今後どう過ごすかということまで考えてほしいと思ったんです。
五十崎)今回のイベントでディスカッションセッションがあったのは、学生の皆さんに「自分の問題」として核兵器の問題を考えてほしいという思いからだったんですね。
中村さん)はい。近年、被爆者の方の高齢化によって被爆の経験を直接お聞きできなくなりつつあります。また、時代の変化により被爆者の方のお話を理解しづらいと感じる子どもも増えているそうなんです。被爆の経験をどのように次の世代に伝え、平和について考えてもらう機会を作ることができるのか。これらについてディスカッションを通して考えてもらう機会をつくりました。
五十崎)ICUの学生の皆さんにメッセージはありますか。
中村さん)原爆について、なんとなく怖そうというイメージから、なかなか知る機会を作れない学生の方もいると思います。しかし、核兵器の問題には全人類が関わっています。また、「被爆者のいない時代」時代に近づいている私たちは、被爆者の方々の平和への思いを受け継ぎ伝えていく役割をになっています。是非少しでもいいので原爆や核兵器について知り、自分の事として考えてみてほしいです。
五十崎)貴重な機会を作っていただき、ありがとうございました。
【編集後記】
長崎原爆展は企画・運営に携わった方々の強い思いが伝わるイベントでした。長崎に住んでいたころに被爆者の方からお話を聞く機会は多々ありましたが、今回のイベントのように、被爆者の方を交えてディスカッションをする形式のイベントは初めてでとても意義深いものだと感じました。ICUでは「コミュニティ・サービス・ラーニング」のコースを通して、原爆の悲惨さを伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を目指す長崎平和推進協会の活動に参加することが可能です。関心をもたれた方は是非参加してみてください。
サービス・ラーニング・センターウェブサイト
https://office.icu.ac.jp/slc/
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